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楽しい生活

鬱屈大学生、『鬱屈精神科医、占いにすがる』を読む

もともと愛読しているブログで紹介されていて、存在自体は知っていたけれど、なんとなく手に取っていなかった本。今日、大学の本屋で買ってみたところ、とても面白くて一気に読んでしまった。

鬱屈精神科医、占いにすがる

鬱屈精神科医、占いにすがる

 

精神科医であり、かつ、文筆家である著者が、鬱屈な気持ちを解消する突破口を見つけようと占いへ赴いた経験を語ったもの。

冒頭を引用する。

 不安感や不全感や迷いーーそういった黒々として不透明なものが心の中に広がってくると、耐え難い気分になる。我慢にも限度があるし、努力で乗り越えられるくらいならばそもそも問題にならない。無力感と苛立ちとよるべなさに、打ちひしがれる。 

 気分転換を図ろうにも、それが気休めに過ぎないことが分かっているから踵を返してしまう。いっそ心の病気であったなら、よほど割り切ることができそうだが、病的ではあっても病気ではないらしいところがかえって出口のない事態に思える。向精神薬を服用することで、抗生物質が細菌を駆逐するように心の中の不透明なものを払拭してくれればいいのに、そんなハッピーな顛末など期待できないことは、仕事柄、熟知している。

 

生まれてからずっと、著者は上記のような「不安感や不全感や迷い」に精神を覆い尽くされているという。これに対して、「この人やばくない? 大丈夫?」と思うか、「分かる分かる!」と思うかが、この本を楽しめるかどうかの分かれ道かもしれない。

著者は60歳を超えてなお、母親に認められたいという強迫的な観念に支配されている。(母親はもう亡くなっているのにも関わらず、である。)「占い」とタイトルにあるが、内容のほとんどは、占い体験談というより、鬱屈の原因となっている母親とのエピソードであり、そこではグロテスクとも言えるような著者の内的世界が描かれる。赤裸々なトラウマの告白は、見方によっては下品とも捉えられるし、繕われていないありのままの自意識を見せられるのは気持ち悪いことかもしれない。しかし、散りばめられた清新さを持つ挿話によって、本全体としては露悪的な印象を免れている。第4章「『救い』に似た事象」で語られる高校生時代に出会い決定的な影響を受けた本について、あるいは、第5章で語られる米軍ハウスでの現実離れした生活、保健所のレントゲン室での小さな発見。詩的真実(世俗的な価値観に照らせば取るに足らない事柄だが、世界の構造に触れたような発見)に生きる<オモテ>の意味を見出し、著者は鬱屈しながらも生きている。

<オモテ>の生きる意味だけなら綺麗に終われるのだけれど、<ウラ>の生きる意味として、著者にはやはり「母親に認められたい」という想いがあり、その実践として「巧妙に隠蔽されたり、あるいは変形された自傷行為」を行っていると語る。

明確な形で「いわゆる自傷行為」に及んだ経験は、わたしにはない。でも、遠回しな形ではそれを繰り返してきたような気がする。いつもぼんやりしていて大事な説明や情報を聞き逃し、その結果として自分だけが窮地に陥るというのがよう幼少期からの危機のパターンなのであるが、今ちゃんと聞き耳を立てておかないとまずい事態になることは(奇妙なことに)しっかりと理解していたのである。にもかかわらず窮地に追い込まれ、「救い」を切望する。そのような反復は、自作自演に近いトーンがある。自分に救いがもたらされるのかどうかを試すための自傷行為もどきであったようにすら思えてくる。(p. 180)

つまり、積極的に窮地に追い込まれにいって自分を試す。私にもこの気があり、どうすればいいか分からない。ベテランの精神科医でも解決できない(だから占いにすがる!)問題なのか。

本文中には、複数の詩や文章が引用されており、舞城王太郎や山内マリコの名前があったことが個人的には嬉しかった。あと、著者がとてつもなくオシャレな家に住んでいるらしいのが気になった。雑誌かなにかで自邸紹介をしてほしい。

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