Diary

楽しい生活

本棚と自意識

人の本棚を見るのが好きだ。部屋に招いてもらうと、自然と本棚に注目してしまう。じろじろ見るのは失礼だと思うから、ちらちら見る。(でも大抵注目しているのがバレる)。部屋に行く関係って、かなり親しい仲になっていることが多いけれど、それでも、本棚を見ると今まで知らなかった一面が知れたりする。

私の家族は、父が本をよく読む(そして処分しない)人で、狭い家には本があふれていた。母は図書館司書で、私はよく市立図書館に連れて行ってもらって、毎回上限いっぱいまで本を借りていた。
本を買ってもらえることはあまりなかったので、ときどき、書店で好きなものを買っていいと言われると、とても嬉しかった。家に帰ったらすぐに読み始めてその日のうちに読み切って、一度だけでなく何度も繰りかえし読み返した。

大学生になり、バイトを始めて、お金を自由に使えるようになった。お金の許す限り、好きに本を買うことができる。嬉しい。ただ、そんな幸福な状態になれたにもかかわらず、本を買っただけで満足して読まないことがある。

なぜ本を買うだけで読まないという現象が起きるようになってしまったか。それはたぶん、本の効用を、純粋な読書体験以外にも見出すようになったからだと思う。読書をめぐる行動は、いろいろと考えられる。本を探す、手に入れる、読む(私の言う「純粋な読書体験」)、読んだ本について思いを巡らす、ある本を読んだことをアピールする、本棚に並べる、人に勧める、貸し借りをする……。
私は大学生になって、本を自己演出、または自己実現の道具として"も"使うようになった。読んでいる本を逐一ツイートしたり、本棚を見せびらかしたりしている訳ではなくて、本を手に入れて勝手に満足しているだけだけれど。

純粋に本を楽しむことを忘れてしまったのではない。本を夢中で読んでいる時間は今でも楽しく、大切な時間である。けれども、本を所有することを通して「なりたい自分」に近づこうとしていることに気づくと、少し恥ずかしくなる。本棚に並んでいる本たちが自意識の表出だと考えると、少し気持ち悪くなる。読みたい本だけを夢中で読んでいた、書店で本を1冊買ってもらえるのが本当に嬉しかった頃が懐かしく、少し悲しい気持ちになる。

何事も「こうなりたい」、「こういう風に見られたい」という自意識からは逃れられないし、それは必ずしも悪いことではない。現在の自分となりたい自分のズレが、その人の成長を進めるのだろうし、そもそも「本当の自分」なんて曖昧なものだ。
それでも自分の考えが、本心か、それとも「そういう考えの自分が好きな自分の考え」なのか悩んでしまう。私は本当に○○が好きなのか、それとも○○が好きな自分が好きなのか。特に、前の在籍大学ではデザイン学部にいて、本当に自分はデザインが好きなのか(興味があるのか)分からなくなってしまって、そういうことをぐるぐる考えていた。
マンガ『A子さんの恋人』最新刊に、次のようなセリフがあるらしい。

建築よりも建築好きな自分が好きで何が悪いのよ?

おおーっと思った。まさに私が悩んでいたことじゃん、と。この秋に絶対、『A子さんの恋人』は買って読もうと思う。

というわけで、人の本棚を見ると、その人の自意識を覗くことができると私は思っている、という話でした。

ここまで本棚について散々気持ち悪いだの、恥ずかしいだの書いてきましたが、ここで、私の本棚(テレビ台)の一部を公開します。大学の勉強関係の本は、目に入ると憂鬱になるので押入れにしまっています。

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テレビのコード……


Little Glee Monster 「私らしく生きてみたい」short ver.

今週のお題「読書の秋」

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)

買うぞ
冒険図鑑―野外で生活するために (Do!図鑑シリーズ)

冒険図鑑―野外で生活するために (Do!図鑑シリーズ)

この本よく図書館で借りてました